CHRISTOPHER ELLIS EXCLUSIVE INTERVIEW

 今年の9月は来日ラッシュ。MORGAN HERITAGE、TERRY LINENだけではなく、DA'VILLE他色々。その中には今回が初来日となったCHRISTOPHER ELLISも。

CHRISTOPHER ELLIS 「ALTON ELLISの息子」として知られ、昨年にSTEPHEN & DAMIAN MARLEYが運営する〈GHETTO YOUTHS INTL.〉からデビューEP『BETTER THAN LOVE』を配信限定でリリースして注目を集める存在。「ALTON ELLISの息子」らしく、ロック・ステディを主体としたその全5曲の中で、個人的にはヒットした表題曲と軽快でメローな「You Babe」がツボ。直接弊社の活動にアレしているアーティストではないけど、「気になるなぁ」な存在に。

 で、CHRISTOPHER ELLISは9/7の「横浜レゲエ祭」にも出演したのですけど、たまたま彼がホテルから会場へと向かう移動車に同乗させてもらうことになって、その中で軽く雑談。そこでさらに「気になるなぁ」。で、そのまま「帰る前に一度ちゃんと話したいなぁ」に。で、9/14の「JAPAN JAMAICA FESTIVAL」で再会した時に「話そうか」が実現しました。

 まっ、プロモとかなんとかではなく、ただの雑談なんですけど、個人的には「いい話」連発。個人的に話したコトですけど「まとめて紹介しよ」。知っている人には勿論、まだCHRISTOPHER ELLISを知らない人には「読んでみて」。で、良ければ彼の作品も聴いてみて。素晴らしい曲を歌う素晴らしいシンガーです。


◆ハイ、コレ。前に言っていた自分が撮影したお父さん(ALTON ELLIS)の写真です。もっと古いものもあるんですけど、ネガとか探す時間がなくて、コレだけしか持って来れませんでした。コレはデジカメで撮ったからすぐに見つけられたので持って来ました。2004年に撮らせてもらった時のものです。

CHRISTOPHER ELLISiconワオっ、ダディーだ。コレはキングストンのソニック・サウンズだね。リタイヤメント・ロードだ。近所にスタジオ・ワンもあったりして、親父がキングストンに行くといつも顔を出していた所だね。ありがとう。「親父の写真を持っている」と言う人達は多いんだけど、なかなか見たり手にすることはできないから嬉しいよ。家族に良いお土産になるよ。


◆お父さんとも一緒にキングストンにもよく行ってました?

iconいや。ロンドンで生まれ育って、初めてキングストンに行ったのは18才の時だよ。それまでは行ったことはなかった。その時は親父の家族に会いに行くって感じだったよ。


◆その時にはもう歌っていたんですか?


ALTON ELLIS & CHRISTOPHER ELLIS

icon歌っていたよ。11才の時から歌っているんだ。親父のショーに一緒に出ていたんだ。最初のステージではKEN BOOTHE、JOHN HOLT、DELROY WILSONとかと一緒だったよ。勿論、親父もね。ショーではいつも親父の歌を歌っていた。「ALTON ELLISの息子」って感じで、親父が5曲歌った後に1曲歌ったりしてね。それが楽しくて仕方なかった。自分は親父の最後の子供なんだけど、他に歌ったりしている兄弟はいなくて、「ALTON ELLISの息子」としてショーに出たのも自分が初めてだったんだ。


◆その当時にプロのシンガーを目指すことは意識していたんですか?

icon 多分ね。あまり誉められたことではないけど、そんなに学校の成績とか良くなくて、学校でもいつも「もっと勉強しろ」って言われていたんだけど、いつも「いや、僕はシンガーになるから勉強はいいんだ」って言い返していたしね(笑)。プロになるとかの意識よりも、その時点でもう親父と一緒にプロの人達とステージで歌っていたし、目指すという感じではなかったかな。ただ、とにかくそうやって歌うことが楽しかったし、あと、音楽が好きでたまらなかったんだ。それは現在も変わらないけど、ずっと音楽に浸った環境に居続けたいとはその頃から思っていたね。

CHRISTOPHER ELLIS

◆ロンドンで生まれ育ったのなら、レゲエに限らず様々な音楽、ロックからポップ、R&Bもヒップホップも触れられる環境で育ったハズですし、世代としてもそうした他の音楽に惹かれても不思議ではないと思うんですけど、そういうコトはなかったんですか?

icon前置きしておきたいのは、自分はどの音楽でも聴くし、ジャンルに関係なく良い音楽を楽しめるタイプの人間だということ。ただ、自分はロンドンだけど、ブリクストンの近くのジャマイカン・コミュニティで育ったんだ。そこは日常会話でもパトワを使うし、食も暮らし方、カルチャーもジャマイカとほとんど一緒で、そうした環境や価値観で育っているから、自分にとってはレゲエが一番身近なものだったんだよ。あと、R&Bとかとはレゲエは歌い方も違っていて、レゲエの方が自分にはフィットしていると感じていたしね。勿論、親父の影響もあると思う。あと、R&Bとかだったら、他に幾らでも歌う人がいるし、聴いて楽しむ分には良いけど、自分があえて歌う必要を感じられなかったんだ。

◆では、ダンスホールではなくて、ロック・ステディ、レゲエを表現の中心としているのはどうしてなんででしょう?

iconダンスホールも嫌いじゃないし、ダンスホールの曲も録ったことはあるよ。ただね、何て言うかな、自分にはロック・ステディとか、レゲエのワン・ドロップの方がフィットするんだ。それが一番合うし、エモーショナルになれると言うか・・、そうだね、自分にとってリアルなんだよね。


◆そうした自分の選択とか感覚には、自分がロンドンで生まれたけど、ジャマイカンであるという意識やプライド、あと、「ALTON ELLISの息子」という自覚や責任感みたいなものはありますか?

iconあったし、あるね。最初は無意識だったかもしれないけどね。でもね、親父が自分に「歌え」とか強要したことはなかったし、「こう歌うんだ」とか教えることはなかった。いつもただ見守ってくれている感じで、自分が歌い終わった後に「ナイス、ナイス」とか言ってくれるぐらいだった。自分が「親父の歌い方に似てる」とか言われるのは、いつも身近で親父が歌うのを見ていたし、聴いていたし、自分自身が親父のファンだったし、それで自然と色々と吸収したからなんだと思う。


◆プロのシンガーになることを意識したのはいつだったんですか?

CHRISTOPHER ELLISiconどこかでいつも意識はしていたのかもしれないけど、シリアスにそれを意識したのは親父が亡くなった時(2008年10月11日)、その前後だね。親父が亡くなる前に病院で「後を頼む」みたいなコトを言ってね、それがどういう意味なのかをそこで意識した。あと、親父が亡くなった時に、ロンドンだけではなくてキングストンでも葬儀が行われて、家族全員でキングストンに行ったんだ。その時にキングストンのレゲエの環境に初めてガッチリと触れて、「自分はもっとこうした環境に居たい」って素直に思ったんだ。「自分の曲をもっと作っていこう」ともね。


◆そこから本格的に?

iconうん、それで最初はキングストンでの葬儀が終わって家族とロンドンに帰るハズだったんだけど、自分はキングストンに残ることにしたんだ。その時に自分を世話してくれたのがSUGAR MINOTTで、SUGARのところで毎日鍛えられたんだ。そう、〈YOUTH PROMOTION〉で。そうだね、SUGARも親父と同じ〈STUDIO ONE〉出身だね。SUGARも亡くなっちゃったけど、SUGARに歌だけではなく、曲の書き方、レコーディングとか色々と教わったんだ。結構厳しくてね(笑)。全然レコーディングとかさせてもらえる感じではなくて、ホントに鍛えられたり、学ぶ感じだったんだ。ある意味、その時の経験が初めて自分の音楽と向き合う機会にもなったと思っているよ。


◆その時期がALTONの死後の2008年〜2009年頃ですよね? 2010年は〈GHETTO YOUTH INTL.〉からALTONへのトリビュートとして「Willow Tree」(ALTON ELLISカヴァー)をリリースしていますよね? それはどういう経緯で?

CHRISTOPHER ELLIS
iconうん、SUGARのところにいた時に、自分の兄貴の友達のクーリって人とリンクしていて、彼がSTEPHEN MARLEYと友達で、「一度STEPHENに会いに行こう」と自分を誘ったんだ。それでSTEPHENに会いに行ったんだ、あのHOPE ROAD 56のBOB MARLEYの家にね。で、行ったら、STEPHENの周りには人が集まっててさ、みんなチャンスもらおうとしてSTEPHENを取り囲んでいるんだけど、その中でSTEPHENが自分の方を見て「ALTONの息子だろ?」って言ってきて、その場で「歌ってみてよ」って言われたから、彼の前でアカペラで歌ったんだ。そしたら「明後日空いてる?」って言われて、いきなり録音することになったのが、「End Of Time」。そう、STEPHENの曲に、JAH CUREと自分がフィーチャリングされた曲。それがSTEPHENや、DAMIAN MARLEY、〈GHETTO YOUTH INTL.〉との出会いだね。


◆ほー、ALTON ELLISに憧れたBOB MARLEYの息子と、ALTON ELLISの息子が、BOB MARLEYの遺した家で出会う、ってなんかスゴくロマンティックな話ですよね。時空を超えた縁みたいな感じが・・、

icon そう、そう、素晴らしい話だよ、ホントに。それで、「End Of Time」を録ったら、STEPHENが今度は「来週空いてる? マイアミに来れる?」って聞くんだ。マイアミに〈GHETTO YOUTHS INTL.〉と言うか、STEPHENとDAMIANが制作拠点としているスタジオがあって、そこに来るように誘われたんだ。で、行ってみたら、そこに契約書が用意されていてさ、それにサインして正式に〈GHETTO YOUTHS INTL.〉の一員になったって感じだね。そこから曲を一緒に制作したり、一緒にツアーに出るようになっていって、昨年にEP『BETTER THAN LOVE』をリリースして、現在まで続いてる感じだね。


◆STEPHENやDAMIAN達との制作とか活動とかはどんな感じです?

iconいやー、もー、スゴいんだよ。制作とかプロデュースとかはもう言うことないんだけどさ、彼らと一緒にいると、BUJU BANTON、SPRAGGA BENZ、CAPLETON、JAH CURE、SIZZLAとか自分からしたら憧れのスター達とガンガン会えて、音楽とかの部分とかもだけどとにかく刺激がスゴくて、「あー、もっとこうした環境で自分もやりたい」ってなるんだよね。


◆確かにスゴいスター達ばかりだけど、そもそもアナタ自身もスゴいスターの息子で、そうした環境には慣れていたんじゃないですか(笑)?

iconまっ、そうなんだけどさ、やっぱりなんかテンション上がるよ(笑)。親父がスターなのは知っていたけどさ、それ以上に親父だしさ、それとは少し違うんだよ。自分の世代にとってのスターばかりだしね。


◆お父さんが亡くなって、自分でも作品をリリース、プロのシンガーとなって、改めて気付いたコトってありますか? 改めて身近過ぎて気付かなかったお父さんの偉大さとか、大変さみたいなものがわかったりとか・・。

CHRISTOPHER ELLIS icon親父が偉大なのは亡くなる前から気付いていたよ。いいかい、見せてあげるよ(左腕のTシャツの袖をまくり上げると「ALTON ELLIS」と刻まれたタトゥーが!)、コレは亡くなってから彫ったんじゃないよ。他の兄弟達は亡くなってから彫ったけど、自分は10年前、親父がまだ生きていた時に彫ったんだ。それぐらい親父の偉大さはわかっているし、わかっていたよ。まっ、お袋はその時は「なんでそんなコトしたの!」って怒ってたけど(笑)。


◆お父さんの名前を彫るってスゴいですよね。リスベクトも誇りも伝わりますけど、なかなかスゴいことですよね?

icon親父は「ナイス、ナイス」って感じだったね。喜んでくれていたと思うよ。あとね、こうやって親父が実際に歌いに来ていた国とかに来ると色々と思うことや知ることもあるよね。例えば、日本は親父が「素晴らしい国」「素晴らしい人達」っていつも言っていた国なんだけど、飛行機から日本が見えた時には少し泣きそうになったよ、「ああ、自分も親父と同じように歌いに来れた」ってね。で、来てからも感激してばかりなんだよ。言葉も違うのに日本の人達が親父の歌を現在も知ってて、愛し続けてくれて、一緒に歌ってくれる人達を見て、また泣きそうになってね、「ああ、親父が言っていたことはこのことか」って自分も理解できてね。うーん、まっ、勿論、こうしたことは親父一人の力でなせるものではないけど、親父がいかに良い曲を、ずっと歌い継がれる曲を歌って来たのか、日本にまで伝え続けてきたのかをそうしたことを通じて知るし、それを思うとホントに親父のスゴいさとか感じるんだ。あと、これだけ親父のコトを愛してくれる人達、いろんなところで親父と会った時の話を嬉しそうに自分にしてくれる人達と会うと、いかに親父が日本で愛されているかだけではなく、そうされるように親父も努力してきたかもわかるんだ。


◆うんうん。でも、そうした偉大なお父さんの息子であることの大変さとかはないんですか?

CHRISTOPHER ELLIS
icon別に大変には思ってないな。誇りには思っているけど・・。ただ、残念に思うのは、こうして自分の歌を歌って日本とか世界をまわっている現在の自分の姿を親父に見せられないことだね・・。でも、なんか矛盾しているかもしれないけど、自分は毎日親父と話しているんだ。(自分の隣の席を指して)こうやって親父は横にいて、いつも自分と話しているんだ。ううん、見えるとかそういうんじゃなくてね。親父とはビジネスのコトも、曲の作り方のコトも、毎日色々と話しているんだ。まぁ、そういうことを言うと家族や兄弟は「気持ち悪い」って言うけど、ホントなんだよ。いつも親父と話しているんだよ。


◆うんうん(なんかシンミリ)・・。えーっ、そろそろ出番の準備をしないといけない時間でしょうから、最後の質問としましょう。これからの自分の未来について聞かせてくれますか?

icon自分の未来は歌い続けていくこと。自分の歌を。「ALTON ELLISの息子」として親父の歌を歌い伝え続けていくことと合わせて、「ALTON ELLISの息子」とだけ呼ばれないシンガー、アーティストになること。理想としているのはDAMIAN MARLEY。「BOB MARLEYの息子」であると同時に一人の独立した「DAMIAN MARLEY」として認知されているし、そうした曲を作り続けている。自分もそういう立場や立ち位置を目指していくんだ。


BETTER THAN LOVE

GHETTO YOUTHS INTL. / DIGITAL EP

◆色々と貴重な話をありがとう。今後にも期待しています。

iconこちらこそ、ありがとう。あと、写真もね。それと、CAPもありがとう。嬉しいよ。ホラ、先週に会った時に「欲しい」って言ったけど、絶対持って来てくれないと思っていたんだよ。今日も会場で被っている人を見て、「持って来てくれないかな」って思っていたし、「持って来てくれなかったからどこで買えるんだろ」って思っていたんだよ。スゴい嬉しい。うん、このCAPに書かれている言葉は自分にはピッタリなんだよ。


CHRISTOPHER ELLIS

INTERVIEW & TEXTED BY : 八幡浩司 / KOJI YAWATA(24x7 RECORDS, INC.)
PHOTO BY: KOJI YAWATA & EMI MURAKI
@東京・お台場青海シーサイドコート「JAPAN JAMAICA FESTIVAL 2014」会場 / 2014年9月14日
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