EXCLUSIVE INTERVIEW - KING WAGGY TEE

PHOTO 昨年に続いてマイアミから「KING」が来日しました。WAGGY-TEEは、サウンド・マン/セレクター、ラジオDJとして長年活躍し続ける大ヴェテランです。
 前回と同様に来日を招聘したのはCAPTAIN-C 20XX。WAGGY-TEEも出演した自身の10周年記念イヴェント(11/2 横浜Bay Hall)で、CAPTAIN-Cは「マイアミで2年間ぐらい修行していた間、毎週欠かさずこの人のダンスに通っていた」「自分が最も尊敬するサウンドマン」とWAGGY-TEEを紹介しました。
 ただ、WAGGY-TEEはCAPTAIN-Cだけではなく、世界中のサウンドマン、レゲエ・ファンに影響を与え続けている特別な存在です。今回に「話を聞かせて欲しい」と時間を割いてもらった場には、MIGHTY CROWNのSAMI-Tも同じ目的で現れました。SAMI-Tによるインタヴュー動画もアップされるので是非合わせて確認下さい。

 もしかしたら、「わぎー・てぃー?」「誰?」な人もいるかもしれないです。特にユーツは。ただ、知っておくべき存在です。だからこそ読んで欲しいです。今回の内容はWAGGY-TEEを知らない人でも理解できると思います。その発言から、WAGGY-TEEがなぜ人々から「KING」と呼ばれるのかも理解できると思います。それは決して長く活動しているからだけではないんです。


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 ジャマイカのスパニッシュ・タウンで生まれた。中国からの移民の何代目になるかは知らないけど、中国系ジャマイカン。家族でパン屋をやっていて、その店が自分の音楽の原点。パン屋でずっとラジオが流れていて、ラジオから流れる音楽に夢中になって育った。子供で店の仕事の邪魔になるから「あっち行ってろ」って言われたけど、ずっと聴いてた。パン屋の上の階で生活していて、夜の8時に寝かされていたけど、さらに上の3階がバーで、そのバーから流れる音楽も楽しみにしてた。起きてから寝るまでずっと音楽に夢中になっていた。


 77年に親に連れられてマイアミに移住した。ジャマイカの政治的な対立(JLP党とPNP党)が激化していて、近所でもドンパチが起きたりしてた。家族全員で移住して、現在はジャマイカには家族も親戚もいない。マイアミに移ってから、レゲエ以外の音楽にももっと触れるようになった。マイアミで初めてセレクター/DJが曲をブレンドしてプレー(ミックス=曲と曲をつないで、ノン・ストップでプレーするコト)するのを知って驚いた、「何だコレ?」って。ジャマイカでは一曲ずつレコードの針を上げ下げしてプレーするのが普通だったから。それに魅了された。


 兄と姉もレコードを持っていて借りたもしたけど、自分でもレコードを集め始めた。ランチ代でレコードを買うようにして。それでDJの練習をしたりして、誰かの誕生日とか、そういうハウス・パーティーでプレーするようになったり、会場を自分達で借りてパーティーをする人達から呼ばれるようになって経験を積んでいった。色々な音楽が流れるパーティーの中で自分は「レゲエをプレーする人」として呼ばれて、そんな小さなパーティーでもフライヤーとか作ったりしていたから、それに自分の名前がクレジットされたりして、それが他の人達、プロモーターやラジオ局の人達にも知られるようになっていった。


KING WAGGY TEE 芸名は高校の時にテレビの『SOUL TRAIN』*が流行っていて、その番組の影響で自分もダンスとかしたんだけど、こうやって踊っている(実際に身体をクネクネさせる)のを友達が見ていて、「Wag=腰を振ったりするコト」とか言うようになって、そこから「Waggy」になったんだ。コレはサウンド・クラッシュとかで相手が攻撃してくるネタになる話だからあまり話したくはなかったんだけどね。

*『SOUL TRAIN』→71年に開始した黒人音楽番組。毎回人気ソウル・スターが出演してライヴを披露。それに合わせて「Soul Train Dancer」と呼ばれたダンサー達が踊るコーナーが人気で、数多くのヒット曲だけでなくダンスの振り付けの発信源となって、USだけではなく日本も含めたディスコ・ブームに大きな影響を与えた。06年まで35年放送された現時点でのUS最長寿番組。


 サウンド・クラッシュは現在はやっていない。確かにBODYGUARDとかとのクラッシュで名前は売ったかもしれない。またやる機会があるのかもしれないけど、今は考えていない。幾つか理由はあるけど、例えばクラッシュ用にダブを録るにはすごくお金が掛かるんだ。出演料をもらっても赤字になるぐらいに。最近のクラッシュは自分がやっていた頃と違って、一対一ではなくて、何サウンドも出て、録ったダブを使えない場合もあるしね。あと、以前と違って、MCのカス・ワードが激しくなり過ぎているのにも抵抗がある。例えば自分は自分の母親をリスペクトしているけど、相手から自分ではなくて「Suck your mama」とか言われたりするのも、自分が相手に向かって言うのも抵抗がある。自分にはクリスチャンとしてのバッグ・グラウンドもあるから。自分達がやっていた時代のクラッシュが一度下火になって、IRISH & CHIN(プロモーター)が「WORLD CLASH」を始めて、以前よりもパーティーな部分も取り入れたことでまたクラッシュに人気が付いたけど、それに自分がまた参加するかはわからない。ただ、今は考えていない。


 ダブはSTONE LOVEとかのカセットを聴いて知っていた。「カスタマイズされた曲」と認識していた。自分が録り始めたのは86年ぐらいだと思う。マイアミでジャマイカからのアーティストのショーがあった後に、よくアフター・パーティーをやっていて、そこでアーティストから「ダブを録らないか?」と持ちかけられたのがきっかけだったと思う。DENNIS BROWN、GARNETT SILK・・、知ってる通りだ。たくさん録ってきた。


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 今年で50才で、14才の時からだから活動を開始して36年目になる。ラジオは16年続けている。マイアミの人気局(99JAMZ)の金曜日の番組をそれだけ長く続けることは結構スゴいことなんだ。マイアミは「パーティーの首都」で、US全土だけでなく世界中からパーティーをしに人が集まる場所。そこで週末のパーティーの夜に番組を続けることは大変だったりもする。レゲエだけでなく、ヒップホッブ、R&B、ソウル、ディスコとかもブレンドして、バランスを考えた内容にしていることで続けてこれている。子供の時からレゲエだけではなく色々な音楽を聴いていたコト、レコードを集めてきたコトはそれを助けてくれているし、あとそれはダンスのアーリーとかでも役に立っている。

KING WAGGY TEEマイアミのレゲエ・シーンを一言で説明することは難しい。大きく分けて北と南があって、北のフォートローダーデールとかは、ジャマイカだけでなくキューバ、ハイチとかカリブ移民が中心となっている。ジャマイカのアーティスト達の別宅も多い。空港もあるし、ツアーとか活動の拠点として便利なのもあるし、ジャマイカまで一時間ぐらいの距離だし、ジャマイカよりも治安が良かったりするし、気候も環境もほとんどジャマイカと変わらないから生活し易いんだ。そこではジャマイカのレゲエがそのまま受け入れられる。ただ、中心はやはり南のマイアミのサウス・ビーチで、そこはさっきも言った通りに、世界中からパーティーを求めて人が集まる場所で、ジャマイカのレゲエもそのまま受け入れられりはしない。政治的なメッセージが強い曲とかパーティーに向かない曲はダメで、パーティーに向いたダンスホール、あとワン・ドロップのラヴァーズがメインになる。「BEST OF THE BEST」とかのレゲエのビッグ・フェスも主に南のマイアミで開催されていて、観客もカリブ系に限らないから、それに適したアーティストの出演が求められるコトが多くなる。


 ダンスでもラジオでもショーでも求められるのはバランスだと思う。場所や相手によって、選曲、レゲエ以外の曲をプレーする割合とかバランスを取らないと聴き手には届かない。ダブもそうで、ラジオで「Waggy Tee、Waggy Tee」と連呼したダブばかりプレーしていたら、レゲエのカルチャーを知らない人は辟易してしまうと思う。ジングルとかイントロとしてプレーすることはあっても、曲としてプレーするのはオリジナルで、アーティストだけでなくシーン全体を考えても、そうしたオリジナルを届けてヒットさせていけないと意味がない。人が聴いて気に入って買える曲じゃないと誰も喰えなくなる。


KING WAGGY TEE あと、以前と違って、ラジオとかでプレーする曲は全て記録が残るし、著作権がクリアでないと問題にもなる。以前のように人の曲のフレーズを勝手に使ってコンポーザーを「Adapted」とだけクレジットしていて許される時代ではないし、見つかればすぐに訴えられる。それは世界の音楽業界のスタンダードで、VP RECORDSでもそうだけど、リリース元はアーティストの曲を聴いて、全ての権利を調べてクリアになるようにしている。そうしないと、ラジオとかではプレーできないし、曲は届けられない。曲を作るアーティストやプロデューサー、リリース元、それをプレーする人達もそれを意識すべき時代で、以前とは違う。


 以前と違うのはジャマイカもそう。以前は一曲一曲をもっと大切に扱っていた。曲が出来てもプロデューサーやアーティストはサウンドマンやラジオのDJに意見を聞いて、それをどうやったらもっと良い曲に出来るかアイディアを出し合ったりした。サウンドマンもラジオもその曲が浸透するまでずっとプレーし続けてた。曲のクオリティもだけど、曲を伝えることにもっと時間も努力もしていた。それがヒット曲につながったし、アーティストの育成にもつながった。DENNIS BROWNもたくさんのレーベルで曲を録っていたけど、「今リリースしている曲が浸透するまでは新曲をリリースするな」ってプロデューサー達に言っていた。そうやってアーティスト、プロデューサー、サウンドマン、ラジオDJ、リリース元がみんなで協力し合ってヒットを作っていた。「Murder She Wrote」(CHAKA DEMUS & PLIERS)とかもそうやって一年掛けてヒットさせて、それが世界でのヒットにつながった。現在は全てを二〜三週間で片付けて、曲が浸透する前に「ハイ、次」とまたリリースして、サウンドマンもラジオDJも「たくさんある新曲の中の一つ」ぐらいの感覚でプレーしているだけ。それでは曲は届かない。他のジャンルでも、ビデオ作ってとか、リリースする前に一曲に半年ぐらいの時間と労力を費やしている。それが世界のスタンダードでやり方で、そうした部分がジャマイカには足らないと思う。世界に届ける準備がちゃんとなされていない。


 現在の若い世代に伝えるようにしているのは、「流行にばかり目を向けないで、宿題をやれ」ってコト。自分も80年代とかに当時の最新を聴いていて「そもそも自分が惹かれているこの音楽はどこから来たんだ?」って気になった。それで〈STUDIO ONE〉〈TRASURE ISLE〉〈JOE GIBBS〉〈CHANNEL ONE〉とかを知ったりした。あと、当時に〈JAMMY'S〉の最新の曲に惹かれていたけど、それをプロデュースしているKING JAMMYが、もともとは自分が子供の時から惹かれていたKING TUBBYの弟子だったコトを知って、そこに過去と現在の接点や共通点を知ったりもした。そうやって知ることで現在の音楽のコトがもっと知れるし、そうした過去や音楽の成り立ちを知るコトが現在に音楽を届けていく上ではとっても役立つし、とっても重要なコトなんだ。


 続けてこれた理由? それは音楽が与えてくれるイマジネーション。音楽が持つ想像力が自分のエナジーを駆り立ててくれる。そう、中国系で肌の色とかもあるし、マイアミもジャマイカから見たら海外で、ジャマイカ出身であっても、ジャマイカのアーティストやプロデューサー達からは「海外価格」を求められることもあるし、色々と簡単でない部分もあったし、あると思う。ただ、それに対しては、自分の音楽へのエナジーの方が上回っていると言いたいし、自分を支えてくれる良い人達にたくさん出会ってきたと言える。


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  今後? そうだね、一つには「SAVE OUR MUSIC」。レゲエとそのカルチャーを伝えていくコトに貢献したい。あと、その上で「Billboard」とか世界中の音楽チャートのトップに、あと幾つもの曲が「REGGAE/DANCEHALL」としてクレジットされてチャート・インさせるコトに貢献するのが夢だ。うん、SEAN PAULとかの時みたいに、ジャマイカのレゲエが世界中で聴かれるようになるコト、専門局だけでなくて、全てのメジャーのラジオ局やテレビとかでレゲエが流れるようになるのに自分も貢献したいんだ。


 個人的なエゴとか必要ないし、自己中心的過ぎるのもそう。「誰のどの曲のダブを持っている」「自分だけがプレーできる」とかはそう意味はない。それもパランスの問題だ。それよりも、どう良い曲をしっかりとより多くの人達に、レゲエに限定しないで届けていけるかの方が大事なんだ。現在にマイアミで生まれ育ったジャマイカ移民の子供達はレゲエとか聴かないで、ヒップホップやR&Bに夢中だ。学校とかでの話題がそっちなら必然とそうなる。ジャマイカ移民が多いマイアミであっても、レゲエのパトワの歌詞は理解されない。人は自分が好きになった曲は一緒に歌いたがるけど、歌詞がわからなかったり、早口で歌い過ぎていたりすると一緒に歌えないし、興味も持ってくれない。色々と時代も変わっているし、色々と変わらない壁や問題もある。ただ、そうした中で自分が子供の時から惹かれてきたレゲエを届けて、広げていきたい。自分として出来るコトをしていきたい。マイアミだけではなく、世界中の関係者やファンと協力し合ってそれを続けていきたいと思っている。

KING WAGGY TEE

KINGの3曲

 現場ではプレーに徹していて、勝手に「無口な人」のイメージを持っていたけど、実際には多弁で話し出すと止まらない感じでした。長年の経験で得た知識と思考はクリアで、それをわかり易く話してくれる部分は彼の音楽の伝え方そのものでした。謙虚で理知的。また憧れる先輩と出会えました。そのWAGGY-TEEが「困ったなぁ」と言葉に詰まったのは、自分からの「いつもお気に入りの3曲を教えて下さい」という質問に対しての時だけ。「うーん」と少し悩んで選んでくれたのは以下の3曲。

BOB MARLEY & THE WAILERS / EXODUS BOB MARLEY & THE WAILERS
Three Little Birds
BOB MARLEYは当然大好きなんだけど、この曲はずっと変わらず好きなんだ。一番好きな曲かな。
BOB MARLEY & THE WAILERS / EXODUS』(UNIVERSAL/ISLAND)他収録
VP4148 DENNIS BROWN
Here I Come

他にも「To The Foundation」とか・・、うーむ、DENNIS BROWNは大好きなアーティストで、ダブでもたくさん録っているけど、とても一曲だけは選べないな。
『DENNIS BROWN / WOLF & LEOPARDS』(VP RECORDS / VP2333)
REGGAE ANTHOLOGY - NINEY THE OBSERVER / ROOTS WITH QUALITY』(VP RECORDS / VP4148)他収録
VP1824 BERES HAMMOND
I Feel Good

比較的新しい曲から選ぼうか。昔のものだけでなく現在も良い曲はたくさんあるから。BERES HAMMONDもDENNIS BROWNと同様に好きなアーティストで好きな曲がたくさんあり過ぎて困るんだけど、最近の中ではこの曲かな。プレーしていると自分もリスナーも「Feel Good」になれるんだ。
BERES HAMMOND / A MOMENT IN TIME』(VP RECORDS / VP1824)
OUT OF MANY - 50 YEARS OF REGGAE MUSIC』(VP RECORDS / VP1962)他収録

INTERVIEW & TEXTED BY: 八幡浩司(24x7 RECORDS, INC.)
@横浜マリンタワー / 2013年11月5日
Special Thanks to CAPTAIN-C 20XX / SCOTCH BONNET / SAMI-T (MIGHTY CROWN)



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