藤川毅のレゲエ 虎の穴 REGGAE TIGER HOLE


01. RUB A DUB TIME
02. I AM THE CONQUEROR
03. NO MORE WILL I ROAM
04. SO LONG RASTAFARI CALLING
05. VOICE OF MY FATHER
06. TRIBULATION
07. HAVE NO FEAR
08. WHIP THEM JAH
09. CHILDREN OF ISRAEL
10. GHETTO GIRL
11. I HOPE WE GET TO LOVE IN TIME
12. EQUAL RIGHTS
13. WORDS OF WISDOM
14. YOUR LOVE GOTTA HOLD ON ME
15. LOVE HAS FOUND ITS WAY
16. HALFWAY UP, HALFWAY DOWN
17. THE PROPHET RIDES AGAIN
18. LOVE LIGHT
19. REVOLUTION
20. label WITH A CAUSE
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WINSTON HOLESS as NINEY THE OBSEVER
WINSTON HOLESS as NINEY THE OBSEVER

『JUST DENNIS』
『JUST DENNIS』
『DENNIS BROWN IN DUB』
『DENNIS BROWN IN DUB』


 1曲目の[Revolution]リディムを使用した「Rub A Dub All The Time」は、83年のアルバム『SATISFACTION FEELING』に収録されていますが、この時期のシングルのリリースがあったかについて、僕自身は確認が取れていませんが、再発は英〈イマニュエル・ミュージック〉よりカラーの7インチがリリースされています。


 2〜7曲目は、デニスと親交の深いプロデューサーのひとり、ナイニー・ジ・オブザーヴァーの制作です。本名はウィンストン・ボスウェル。ウィンストン・ホルネスという通称名も使用しています。彼は〈オブザーヴァー〉を通じてレゲエ史に残る多くの傑作をモノにした人物です。

 小生はかつて、ロンドンのスティーヴ・バロウ宅で、ナイニーに会ったことがあります。当時〈ブラッド&ファイア〉レーベルをやっていたスティーヴ・バロウの家で、そのレーベル名の元になったヒット曲「Blood & Fire」を放ったナイニーに会うというのも面白い体験でした。その時に、ボクは、かねてから疑問に思っていた「なぜナイニーというニックネームなのか?」と彼自身に質問をしました。Nineyというのはきっと数字の9(nine)にちなんだ何らかの意味があると想像していましたから、そのことを確認したかったのです。そうすると、スティーヴとナイニーは、揃って「その答えは、握手すればわかるよ」と。握手してみてわかりました。アクシデントで親指を失っていたのです。ナイニーの9は、指が9本という意味だったのです。そのアクシデント以来、ナイニーというニックネームで呼ばれるようになったのだそうです。

 ナイニーは、エンジニアとして音楽業界入りし、60年代後半、〈ジョー・ギブス〉の仕事をするなど、バニー・リーらとともに、コクソン・ドッドやデューク・リードに続く新世代のプロデューサーとして登場しました。彼は51年生まれだと言いますからそのころはまだ20歳にもならない頃です。早熟なプロデューサーですね。ナイニーは80年代の頭に一時期ジャマイカを離れフランスに行きましたが、それまではコンスタントに作品を残しました。『MR.McGREGOR』『LOVERS ROCK IN JA STYLE』『SHOWCASE』などフレディ・マグレガーの初期のキャリアもナイニーの制作によるものでした。またここに収録されているナイニー制作曲は、DISC1:1〜4のデリック・ハリオット制作からつながる次の時代に録音されたものです。

 今回のデニスの作品に収められているこれらの曲は、72〜77年に発表された曲で、アルバムで言うとナイニー制作の『JUST DENNIS』『DEEP DOWN』『WESTBOUND TRAIN』といったアルバムに収録されています。2曲目「I Am The Conqueror」と3曲目「No More Will I Roam」のダブは、75年にリリースされたキング・タビーによるミックス『DUBBING WITH THE OBSERVER』に、4曲目「So Long Rastafari Calling」、5曲目「Voice Of My Father」と6曲目「Tribulation」は、それらのダブが〈オブザーヴァー〉からのダブ・アルバム『SLEDGEHAMMER DUB IN THE STREET OF JAMAICA』に収録されています(このアルバムは英〈モーション〉より再発されました)。また、3曲目「No More Will I Roam」、6曲目「Tribulation」、7曲目「Have No Fear」は、米〈ハートビート〉から2001年に発表されたCD『DENNIS BROWN IN DUB』に収録されています。



 8、9曲目はオジー・ヒバートの制作曲です。どちらもデニスのキャリアを代表する曲です。オジー・ヒバートは、元々はジョー・ギブスのプロフェッショナルズや、アグロヴェイターズなど、ジャマイカのセッション・バンドの鍵盤奏者として活動した後、プロデュースも手がけるようになりました。チャンネル・ワン・スタジオを拠点にグレゴリー・アイザックス『MR ISAACS』やディリンジャー『COCANE IN MY BRAIN』、スティーヴ・バロウの〈ホット・ポット〉から再発されたダブ『EARTHQUAKE DUB』などの傑作を70年代に生み出しています。

 8曲目「Whip Them Jah Jah」は、76年にオジーの〈アースクエイク〉からリリースされたヒット曲です。英では〈ホークアイ〉より12インチも出ました。この曲は77年のアルバム『WOLF AND LEOPARDS』にも収録されています。



 10〜17曲目は、デニスと長きにわたり蜜月関係にあったジョー・ギブスとの作品です。デニスのキャリアを代表するレーベルをあげるとなるとその筆頭はやはりこの〈ジョー・ギブス〉ということになるでしょうね。ジョー・ギブスについては、この『レゲエ虎の穴』連載で長々と書きましたので、そちらを参照していただくとして、ここでは資料関係の整理をしておきます。

 10曲目「Ghetto Girl」は、77年のリリース。続く11曲目もそうです。12曲目は、79年に英〈レイザー〉から出た『WORDS OF WISDOM』の表題曲です。おそらくシングルとしては出ていないように思います。14曲目「Your Love Gotta Hold On Me」は、この曲をタイトルにしたアルバムは84年に〈ジョー・ギブス〉よりジャマイカ盤LPが出ています。シングルとしてはその前年にリリースされました。15曲目も同名アルバムが82年に米〈A&M〉からリリースされています。僕も大好きなラヴァーズ・ロック・クラシックです。ジョー・ギブスの制作ですが、この曲に関してはウィリー・リンドがアレンジを担当したと言われています。ジョー・ギブス制作のデニスのアルバムはかなりの数があります。少しまとめておきましょう。



(1)は、〈ジョー・ギブス〉からの初アルバム。同年には、ナイニー制作の『JUST DENNIS』もリリースされています。そちらは英〈トロージャン〉からも。のちに再発(14)。


(2)は、ギブス制作曲は含まれていないのだが、〈ジョー・ギブス〉からリリースされたこともあるので、一応リストに入れておきました。英〈ブルームーン〉からリリースされたこともあり、ジャケットが何種類かあります。

(3)英盤は〈ライトニング〉〈レイザー〉から。この時期のギブス作品はカルチャーなど、ワーナー系の〈ライトニング〉からのリリースも多かったです。


(4)英盤は〈レイザー〉から、日本盤も〈ワーナー〉から出ていました。〈ジョー・ギブス〉盤には米盤とジャマイカ盤がありジャケットが異なります。

(5)『ジョセフの聖衣』の邦題で日本盤も出ていました。英盤は〈レイザー〉からでしたが、ジョー・ギブス制作にもかかわらずジャマイカ盤は〈D.E.B.〉からでした。ジョー・ギブスはアメリカ・プレス盤を出しました。

(6)79年のモントルーでのライヴ盤ですが、制作は〈ジョー・ギブス〉とクレジットされているのであげておきます。

 ちなみに、78年は〈ジョー・ギブス〉からのリリースはありません。78年は、ナイニー制作の『WEST BOUND TRAIN』が英〈サード・ワールド〉からリリースされたのみです。これも旧録が中心。78年、デニスは人気が特に英国で急沸騰しており、英国に長期滞在していたことがリリースの空白となった可能性が高いと思っています。

 78年の夏には前年に出た『WOLF AND LEOPARDS』がロング・ヒットとなり、アルバム『WOLF AND LEOPARDS』とシングル「Wolf And Leoprads」がイギリスのレゲエ・チャートのトップに輝き、『VISIONS OF DENNIS BROWN』も売れ続けていました。DISC 1の「To The Foundation」のところで書きましたが、デニスの曲にトリニティのDJが続く「Funny Feelings」は、英国では高価だったにもかかわらず、売れました。78年の時点でもこの曲と〈ジョー・ギブス〉からの「Equal Rights Style」の12インチは前年から売れ続けていました。この「Equal Rights Style」の12インチでデニスに続いてDJしていたのがビッグ・ユースでした。78年9月にはデニスとビッグ・ユースのロンドン公演が実現し、大変な話題となったのです。当時、ボブ・マーリーもライヴを行っていたロンドンのレインボー・シアターでデニスとビッグ・ユースは3日間の公演を行う大人気ぶりだったのです。このときのバンドはロイド・パークスやスライ・ダンバーらでした。このツアーはデニスにとって74年以来4年ぶりの公演でした。


話を戻します。(7)も英〈レイザー〉からのリリース。このアルバムには、〈D.E.B.〉制作のガール・グループ、15,16,17もレパートリーにしていた「Someone Special」のデニス版も収録されています。

(8)は、クライヴ・ハントとジョー・ギブス制作によるアルバムで〈A&M〉からのリリース。欧米マーケット向けのアルバムで自曲のリメイクなどありますが、レゲエ作品としてはあまりよく出来たものではありません。日本盤も出ました。


(9)先にも書いたラヴァーズ・クラシックを表題曲に据えたアルバム。前作にあった気負いはなく、ウィリー・リンドなどの起用がプラスにはたらきました。こちらも〈A&M〉からのリリース。

(10)配給が〈A&M〉に変わったこともあり、制作したアルバムを何でもメジャーから出すという感じではなくなっていたようで、本作はジャマイカ盤でのみリリースされました。後に〈ブルームーン〉より『LOVE LIGHT』のタイトルでもリリースされました。

(11)〈ジョー・ギブス〉お得意の長尺のディスコ・ミックスを集めたアルバム。かつて〈オーバーヒート〉からの日本盤もありました。

このあたりまでが、ギブスがリアル・タイムにリリースしたアルバムと言うことになります。この連載の4回目で書いたように、この時期に著作権料を巡るトラブルでジョー・ギブスは音楽ビジネスから引いてしまうのです。ギブスと蜜月関係にあったデニスにもその影響はダイレクトに反映され、その後のデニスは、徐々に失速していくのでした。

(12)以降は主なギブス音源を含む再発。(13)の79年のスイスでの『モントルー・ジャズ・フェスティヴァル』の映像が、今作にDVDとして封入されています。

ちなみにVP RECORDSからは〈ジョー・ギブス〉でのデニスの楽曲を集めたCD4枚組ボックスも間もなく出ますので、この時期にギブスのデニスをまとめて聴くのも良いかもしれないですね。また、「Equal Rights Style」は2008年にVP RECORDSより出たデニス・ブラウンの〈ジョー・ギブス〉の12インチ集『A LITTLE BIT MORE』(15)の冒頭を飾っていますので、興味のある方は是非。


 さて、本作に戻りましょう。ジョー・ギブスの制作曲の後に3曲残っています。


『CLIVE HUNT'S RUFF'N'TUFF SHOWCASE』
『CLIVE HUNT'S RUFF'N'TUFF SHOWCASE』

『BROWN SUGAR』
『BROWN SUGAR』


 18曲目、「Love Light」はクライヴ・ハントが制作した楽曲。前出の「ギブス・ディスコグラフィの(10)にも収録されていて、12インチは〈イヴォンヌズ・スペシャル〉から出ていました。クライヴ・ハントの制作集でかつて日本盤も出ていた『CLIVE HUNT'S RUFF'N'TUFF SHOWCASE』にも収録されています。


 19曲目、「Revolution」も人気曲です。制作はスライ&ロビーでリリースも彼らの〈タクシー〉から83年に。スライ&ロビー制作のアルバム『BROWN SUGAR』(86年)もあります。


 20曲目、はジャッキー・ミットゥ制作によるもの。ヴォコーダーの声もジャッキーです。〈ソーリング〉というレーベルから12インチで出ていまして、カナダ盤はジャッキーの〈ジャッキ/JAKKI〉からリリースされていました。92年に英〈ワールド・レコーズ〉からの『BEAUTIFUL MORNING』というアルバムでリメイクしています。


 と、収録曲についてのリリース関係を中心に簡単に振り返ってみました。


 冒頭でこのように書きました。「リアルなジャマイカを代表するスターはデニスだと言われたりもしていた」と。ここに収録の楽曲を聴いているとそのことを実感出来ます。特に70年代のデニスの歩みはまさにジャマイカのレゲエの本流をいくものであったように思います。
ジャマイカの音楽のメイン・ストリームがロック・ステディからレゲエに移り、そしてレゲエがルーツ化しようとするときに、ロック・ステディの残り香を感じさせるスイートなソウルの雰囲気をたたえた歌のうまい少年シンガーは実に新鮮だったはずです。ジャマイカというところは子供シンガーやDJが誕生しやすい土壌のように思いますが、デニスはどちらかというと少年シンガーという際物のようなところからキャリアをスタートしながらも、自身の天賦の才を生かし、レゲエの本流で成功していきました。その歩みは、今回のCDに含まれているようなレゲエを代表するプロデューサー達の元に残した数多くの音源が如実に物語ってくれています。

デニス・ブラウン

 ボブ・マーリーがほとんどの人が知らないレゲエという音楽を世界に広げていく役割をしたとき、自身の音楽をロック・マーケットにアダプトさせることでその道を切り拓きました。デニスはボブの切り拓いた道を後追いしながら、小さいながらも確立されつつあったレゲエというマーケットで勝負することができました。特にイギリスのメジャー・レコード会社、ワーナー系の〈ライトニング〉〈レイザー〉というイギリスのレーベルからリリースすることができたのもラッキーでした。

 イギリスにはジャマイカ人が多く住み、ジャマイカ音楽を受け入れる土壌があったことや、ボブ・マーリーが切り拓いたマーケットも非常に大きかったことから、英メジャーからリリースできたことはデニスにとって幸運でした。そのことを実現させたのには、ジョー・ギブスという商売人の存在も非常に大きかったのです。もちろん、商売するにもエロル・トンプソンという音楽面を取り仕切る才能があったからこそですけれど。

 ジョー・ギブスが英ワーナー系との関係を絶ち、次に米〈A&M〉と契約したのは、より大きなアメリカというマーケットで勝負したいという意欲の表れであったように思います。しかし、これは成功したとは言い難く、ポップなメジャー化を意識しすぎたばかりに、デニス自身の個性や持ち味を殺してしまいました。『FOUL PLAY』などはその典型的な作品といえるでしょう。〈A&M〉からのリリースで決定打が出ないうちに、ジョー・ギブス自体が失速してしまったのはとても残念な出来事でした。デニスのアメリカ進出とともにギブス自体も拠点をマイアミに移し、アメリカでの本格的な音楽ビジネス進出を狙っていただけになおさらです。先でも触れましたが、このあたりの事情については、この連載のジョー・ギブス編をお読みください。それにしても、デニスとジョー・ギブスとの関係を見つめてみると、ボブ・マーリーにとってアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルの存在がいかに重要だったか思い知らされることにもなったりします。

デニス・ブラウン
デニス・ブラウン

 先にも書いたように、ジョー・ギブスの音楽業界からの撤退は、デニス自体の失速へと直結していました。80年代半ば以降のデニスの評判というのはあまり芳しいものではありませんでした。86年には来日公演も行いましたが、この頃には熱心なレゲエ・ファンはこの時期のデニスの作品の出来の悪さから心が離れていた人も多かったように記憶しています。実際この頃、デニスは声の調子が悪く、手術したらしいとか、ドラッグにおぼれ、健康も害しているようだという悪評が聞こえてきていたのです。「Crown Prince of Reggae(レゲエの王)」といわれていたデニスが、「Clown Prince of Reggae(レゲエ界のピエロ)」と揶揄するように呼ばれたのもこの頃です。それでも、先にあげた〈ミュージック・ワークス〉からの『UNCHALLENGED』やウィリー・リンド絡みの『INSEPARABLE』、英国制作の数作に聴くべきものがあったのも事実でした。しかし、晩年は芳しい評価もないまま99年に42歳の若さでなくなってしまいました。

 ジャマイカの人が好きなソウルの感じも残しつつ、70年代のルーツ・レゲエの時代にもその艶のある声と歌唱力でルーツ・レゲエの王道を歩きました。そして、海外でリリースされる作品とジャマイカ国内でリリースされる作品がほぼ同じという等身大の姿で世界へ打って出たのでした。そのことが十分な成功を収めたかどうかについては議論の余地がありますし、80年代の展開は今となっては失敗と言わなければならないようにも思いますが、この『REGGAE ANTHOLOGY - THE CROWN PRINCE OF REGGAE SINGLES1972-1985』で聴くことの出来るデニスは実に素晴らしく、レゲエの王に恥じないものです。


 最後に蛇足のように付け加えるならば、この『REGGAE ANTHOLOGY - THE CROWN PRINCE OF REGGAE SINGLES1972-1985』は、デニスのベスト盤ではありません。ベスト盤を求めるならば、かつてVP RECORDSより96年に出た 『LOVE & HATE THE BEST OF DENNIS BROWN』の方がCD1枚ですがヒットを網羅し、まとまりもよいです。今回のこのシングル集は、シングルを集めた期間72〜85年のデニスの歩みをレーベルのバランスを考慮しつつ、ポイントとなるシングルを収めた作品集です。手っ取り早く聴くのは、『LOVE & HATE THE BEST OF DENNIS BROWN』でしょうが、デニスの本質に迫るとしたら今回の『REGGAE ANTHOLOGY - THE CROWN PRINCE OF REGGAE SINGLES1972-1985』だと思うのです。そしてDVDで収められている79年の絶頂期のライヴも本質に迫る一助となるはずなのです。

 というわけで、2011年一発目の虎の穴をこのあたりでしめたいと思います。『REGGAE ANTHOLOGY - THE CROWN PRINCE OF REGGAE SINGLES1972-1985』のライナー・ノーツ代わりに読んでいただければ幸いです。それではまた来月!



藤川 毅 [ふじかわたけし]
1964年鹿児島市生まれ。
高校卒業後、大学進学のため上京。
大学在学中より音楽関係の仕事をスタートし、『レゲエ・マガジン』の編集長など歴任するも、思うところあり、1996年帰郷。
以来、鹿児島を拠点に会社経営をしつつ、執筆活動などを続ける。
趣味は、自転車(コルナゴ乗り)と読書、もちろん音楽。
Bloghttp://www.good-neighbors.info/dubbrock
Twitterhttp://twitter.com/dubbrock

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