藤川毅のレゲエ 虎の穴 REGGAE TIGER HOLE

PUT THE STEREO ON / GAPPY RANKS
PUT THE STEREO ON / GAPPY RANKS
GREENSLEEVES / GRE2079 / IMPORTS
GAPPY RANKS
GAPPY RANKS
GAPPY RANKS - PECKINGS LOGO
GEORGE“PECKINGS”PLICE
PECKINGS STUDIO 1
「PECKING STIDIO 1」
ON BOND STREET / BITTY McLEAN
ON BOND STREET / BITTY McLEAN

OVERHEAT(2005) / OVE-95

 さて連載6回目です。今回のお題は、ギャッピー・ランクス。

 世間的に僕は、ジャマイカの古い音楽のことを書くオッサンなので、新人アーティストについて書くなんて意外かもしれませんね。でも、このオッサンも、シャギーやビーニマン、ケイプルトン、ブジュ・バントンのライナー・ノーツなど書いてきたんですよ(笑)。

 というわけで、今回は、ギャッピー・ランクスというお題をいただきましたので、彼のファースト・アルバム 『PUT THE STEREO ON』のライナー・ノーツを書く気分で筆を進めたいと思います。ただ単にライナー・ノーツに仕上げてしまっては面白くないので、オッサンらしい原稿にしたいな、と。さて、最初に「GAPPY RANKS」の表記ですが、ジャメイカンが発音すると、「ギャピ」となるかもしれ無いなぁと思いつつ、「ギャッピー・ランクス」で統一させていただきたいと思います。

 彼の人となりについては、この24×7 RECORDSサイトに掲載中のギャッピー・ランクス・インタヴューのページに詳しいので、そちらに譲ります。それ以上のことは書けませんので、プロフィール的な部分については、ほとんどを省きます。

 ギャッピー・ランクスというイギリスのシンガーに興味を持ったのはそう遠い話ではありません。皆さんと同様に本作に収録の「Mountain Top」や「Heaven In Her Eyes」で脚光を浴びてからのことです。英レーベル、〈ペッキングス〉からリリースされたこの2曲は、ジャマイカの古いリディム(=リズム)をうまく使った曲ですから、同じく〈ペッキングス〉からの作品で古い〈トレジャー・アイル〉のリズムを使用して好セールスを記録したビティ・マクリーンON BOND STREET』と同企画の作品なのかなと思ったりしていたのです。


 ここで〈ペッキングス〉というレーベルについて説明しておかなければなりませんね。イギリスにレゲエのレコードを買いに行ったりした経験のある人や通販の経験のある人にとっては、〈ペッキングス〉は知られた存在だったかもしれませんが、その名前がレゲエ・ファンに広く知られるようになったのは、1995年にリリースされた『STUDIO ONE PRESENTS〜TRIBUTE TO PECKINGS』によってでしょう。〈ペッキングス〉とは、1994年末に亡くなったジョージ・プライスの愛称であり、彼の経営していたレコード店およびレーベルのことです。ジョージは、〈スタジオ・ワン〉のコクソン・ドッドと親しい関係にあり、ジョージが60年代にイギリスに移ってからは、ジョージがイギリスの〈スタジオ・ワン〉の配給・代理店として機能しました。

 ジョージがロンドンのハイド・パークの西のアスキュー・ロード81番地に開いたレコード店=ペッキングスは、ジョージやジョージの息子達によって運営され、〈スタジオ・ワン〉の聖地(メッカ)とまで言われるほどでした。実際に店の看板には、「Peckings Studio 1」と書かれていたのを僕もはっきりと記憶しています。ペッキングスの店は〈スタジオ・ワン〉の代理店として勇名をはせましたが、実は〈トレジャー・アイル〉やプリンス・バスター、フィリップ・ヤップの〈トップ・デック〉などジャマイカの名だたるプロデューサー達の代理店としても機能したのでした。ダディ・ペッキングスことジョージは1994年に他界しましたが、店は息子であるクリスとデュークに引き継がれました。〈スタジオ・ワン〉や〈トレジャー・アイル〉のイギリスでの代理店という遺産を引き継いだ彼らが2004年に制作・発表したのが、ビティ・マクリーンON BOND STREET〜AND THE SUPERSONICS』というわけです。

 これは、アルバム全編をロック・ステディ期の〈トレジャー・アイル〉で制作されたトミー・マクック率いるスーパー・ソニックスの名演オリジナル・リズム上で、ビティ・マクリーンが新たに自身の曲を歌うというものでした。古いリズム・トラック上で新しく吹き込みをするという行為自体、レゲエの歴史上、それ以前も無かったわけではないですが、この作品は、同一レーベルの同時期のリズム・トラックを使ったことや、ロック・ステディのコンセプトをラヴァーズで生かすというありそうでなかったコンセプトで成功した作品でした。この成功は、ロック・ステディがエヴァー・グリーンで魅力的な音楽であることを若いファンに伝える効果もありました。


 そもそも、ヴァージョンとよばれるカラオケを使い回し、新たに録音して新たな楽曲を生み出すというヴァージョニングという行為は、ジャマイカの音楽産業が生み出した独特の文化です。ジャマイカで生まれ、今なお日常的に行われているリズムの使い回しやヴァージョニングですが、それを今の時代により効果的なアルバム『ON BOND STREET』と言う形で成立させたのがジャマイカにおいてではなく、イギリスであったというのはある意味必然だったのかもしれません。ジャマイカ的には、スティーリー&クリーヴィによる<スタジオ・ワン>のリディムをリメイクした『PLAY STUDIO ONE VINTAGE』や〈ジョー・ギブス〉のリディムをリメイクした『OLD TO THE NEW』など、古いリズムをそのまま使うというよりは、古いリズムを作り直すという方向を目指すことが多いかもしれません。

 ジャマイカは1962年までイギリス領だったこともあり、イギリスと深い関係にあります。1962年の独立以前からそれ以降も現在に至るまで人的な交流は続いています。ジャマイカの音楽もポピュラー音楽誕生の早い時期からイギリスで人気を獲得してきました。多くのジャマイカ出身者がいるイギリスでは、イギリスに住むジャマイカ人がジャマイカの音楽を演奏したり歌うようになるのはごく当たり前のことでしたし、このような<イギリス産のジャマイカ音楽>も独自の発展をしていきました。<イギリス産のジャマイカ音楽>が独自の発展をしていく中で、常に基準になるかのように存在していたのが<ジャマイカのジャマイカ音楽>です。<イギリス産のジャマイカ音楽>は独自の発展をしたと書きましたが、実は演奏する在英のミュージシャン、シンガーやDJの意識も含め、主流である<ジャマイカのジャマイカ音楽>の傍流としての<イギリス産のジャマイカ音楽>という側面があった(ある)ことは否めません。しかし、<イギリス産のジャマイカ音楽>は、ダブ・ポエットやラヴァーズ・ロックという独自のスタイルも生み出しましたし、スキンヘッド・レゲエなどジャマイカにはない独特のトレンドも生みだしました。<ジャマイカのジャマイカ音楽>と<イギリス産のジャマイカ音楽>の微妙な距離感を示すことのひとつにDJものを巡る歴史があります。

 70年代、ジャマイカではU・ロイが先鞭をつけ、DJが人気を得るようになり、特に70年代中盤以降は多くのDJが誕生し、サウンド・システムを拠点に活動、レコーディングにも数多く進出し、一大勢力となりました。しかし、この時期にイギリスではあまりレゲエDJが誕生しなかったのです。すでにイギリスではサウンド・システムは存在していましたし、レゲエのレコードもイギリスのマーケットで堅調にリリースされるなど、レゲエは広く受容されていたにもかかわらずです。正確に言うと全くイギリスにDJが存在しなかったわけではないのですが、本当に数が少なかったのです。70年代の半ば以降のジャマイカは、近頃VP RECORDSから5集に渡って発売された〈ジョー・ギブス〉の12インチ・シリーズ『12' REGGAE DISCO MIX SHOWCASE VOL.1~5』のように歌ものの後半にDJをくわえるスタイルが人気を得ていたのですが、<イギリス産のジャマイカ音楽>においてはそれが奇妙な形で実現されています。

マトゥンビの12インチ「Point Of View(Squeeze A Little Lovin')」
マトゥンビの12インチ「Point Of View(Squeeze A Little Lovin')」

 1978年にヒットしたマトゥンビの12インチ「Point Of View(Squeeze A Little Lovin')」という曲があります。この曲の後半には、〈ジョー・ギブス〉や〈チャンネル・ワン〉の12インチのようにDJが接続されています。このことは、当時のジャマイカでのトレンドが、イギリスでも認知されていたことを物語っていますが、この12インチの後半でDJを担当しているのはジャマイカのヴェテランDJ、I・ロイです。同様にジャネット・ケイの「Silhouette」(曲はデニス・ブラウンもうたっていたあの曲です)という12インチがありますが、この12インチでDJをしているのもジャマイカのヴェテランDJ、プリンス・ジャズボだったりします。

 これらのことから見て取れるように、イギリスではジャマイカ訛りでリズムに乗って自在にDJするタイプのDJ自体がほとんど存在しなかったといった方が正確かもしれません。例えるならば、東京出身の人がニセ関西弁で漫才するような感覚とでも言えばよいのでしょうか? 関西の人からすれば、偽物でしか無く、いかがわしい感じ。そう思われるのがイヤだからこそ、イギリスではジャマイカ流のDJスタイルはなかなか人気を得なかったのです。もっというと、パトワ(ジャマイカ訛り)でのDJは個性的すぎて、それをまねすることは単なる猿まねに過ぎないと思われるのが怖かったのですね。そんなこともあり、イギリスにおける独自のDJスタイルが開花するのは80年代を待たなければなりませんでした。イギリスではジャマイカにおけるDJのことをMCと呼びますが、DJではなくMCと違う名称で呼ぶのは、ジャマイカのDJと意識的に区別するという意味があったのかもしれません。

 70年代半ばまでのジャマイカのレゲエDJたちは、主にルーツ&カルチャー色の強い歌詞を中心にDJしてきました。シンガーの歌もルーツ一色でしたから当然と言えば当然のことです。しかし、70年代末になるとジェネラル・エコーのようなスラックネス(下ネタ)DJも登場し、ジャマイカのDJの世界もだいぶ様相が変わってくるのですが、DJの主流王道はルーツ&カルチャー路線でした。80年代に頭角を現したイギリスのMC達は、その反動というか、むしろその路線とは距離を置くようにオリジナリティとしてのユーモアを追求するようになります。イギリスならではのイントネーションやアクセントをうまく生かしたMC達が登場するのです。

 先頃、GREENSLEEVESからリリースされた『NICE UP THE DANCE〜UK BUBBLERS 1984-87』に収録のティッパ・アイリー、パト・バントン、ダディ・コロネルなどのMC達のスタイルを聴いていただければイギリスのMC達のユニークネスを感じていただけることと思います。このコンピレーションには収録されていませんが、イギリス独特のユーモアと特徴を曲名で端的に表しているのが、スマイリー・カルチャーの「Cockney Translation」です。〈ファッション〉からリリースされたこの曲は大ヒットとなりましたが、このようにコックニー訛りを逆手にとったものも登場するなど、80年代にはイギリスMC達の個性というのが芽吹き、開花していきました。またイギリスのDJ達の特徴として早口スタイルもあげられます。

 早口DJというのは、ティッパ・アイリー、ダディ・フレディ、レベルMC、ジェネラル・リーヴィと伝統的にイギリスのお家芸といった感じもありますが、その起源は、ジャマイカのDJ、ランキン・ジョーだと言われています。ランキン・ジョーは、イギリスのサウンド・システムで活動するなどイギリスのMC達に大きな影響を与えたと言われていますが、彼のレコードで聴ける早口DJよりは、イギリスのMC達の早口ぶりはスキルフルでスピーディですごいですよね。ネクスト・レベルと言っていいかもしれません。そういう意味ではイギリスのMC達の個性と言っていいでしょう。


 ジャマイカでは先に挙げたランキン・スラックネス=ジェネラル・エコーと同様にDJの世界の間口を拾えた功績あるDJとしてジャマイカで名前が挙がるのがローン・レンジャーです。ローン・レンジャーはU・ロイやビッグ・ユース、I・ロイと言った世代の次の世代のDJとして、オールド・スタイルのDJをもう一歩磨き上げた存在として知られていますが、カエルの鳴き声「リビッ!(ribbit)」をポイントで挟み込むスタイルに代表されるような擬音を多用したりしてDJスタイルを進化させました。実はその擬音の多用やユーモラスなDJというスタイルはイギリスのサウンド・システムでイギリスのMC達と技を磨きあう中で、イギリスのMC達から影響を受けて、ジャマイカに持ち帰ったというイギリスからの指摘があったりします。DJ後発のイギリスが逆にジャマイカに影響を与えていたという例ですね、これは。

 シンガーによる歌ものなどは、イギリスでのみヒットする在英シンガーの曲などがあったり、ソウルフルな歌ものがうけるといった英国事情のようなものもありますが、ジャマイカの流行とイギリスでのジャマイカ音楽の流行トレンドはシンクロしています。でも、DJに関してはそうでなかったことこそは、ジャマイカとイギリスの微妙な距離感を意味しています。イギリスのジャマイカ音楽は常に、ジャマイカの音楽への劣等感にさいなまれていると言ってもいいのかもしれません。自分たちのやっていることは、ジャマイカのコピー、ジャマイカの亜流と評価されるのではないかという強迫観念に常につきまとわれているのですね。


 マトゥンビで活躍し現在はリントン・クエシ・ジョンソンのダブ・バンドでも活躍するイギリスのミュージシャン、エンジニア、プロデューサーのデニス・ボヴェルは、自身がやっていた70年代のフォース・ストリート・オーケストラなどの作品のアルバム・ジャケットがジャマイカ盤のテイスト(チープな作り)になっていることについて、「イギリスのレゲエだと思われると売れなかったから、わざと手作りっぽいジャマイカ盤風のアートワークにしていた」と語ってくれたことがあります。この話も、ジャマイカの音楽と<イギリス産のジャマイカ音楽>の微妙な関係を感じることができる逸話だと思います。しかし、この微妙な関係こそ、<イギリス産のジャマイカ音楽>の強さにもつながっています。本場のジャマイカ音楽への劣等感は、本場のジャマイカ音楽の観察、ジャマイカ音楽への分析、そして客観視することにもつながっています。極論かもしれませんが、ビティの『ON BOND STREET』 における〈トレジャー・アイル〉のリズム使用という着眼もこれらに起因しているかもしれません。

 アルボロージとジェントルマンON BOND STREET』やアルボロージ、ジェントルマンといった在ヨーロッパのアーティストの作品を聴くと、自分たちの好きなレゲエを自身の作品に取り込もうという意欲に満ちあふれています。イギリスの〈ファッション〉の作品やそこで修行したフレンチーの〈マキシマム・サウンズ〉、 一部のレゲエ好きを唸らせているフランスの〈アーティカル(Heartical)〉の諸作などは、ジャマイカの音楽に対して客観的な立場だからこその研究熱心さで作品を生み出しているように思えます。現在、ヨーロッパでは、イギリス、ドイツ、オランダ、イタリアのようなレゲエ先進国ならず、北欧や東欧のポーランド、さらには地中海に面したギリシャまでレゲエが人気を得てきていますが、それらの地域のサウンド・システムの実況を聴くと、どれもが客観的に見たレゲエの魅力という視点にたっています。それらは模倣のような部分もあるのですが、それだけではなく、ジャマイカにいないからこそ客観的にその音楽の魅力を拾うことができるという意味で、ユニークなサウンドになっていると思います。


 アーティストにしろ、レーベルにせよ、サウンド・システムにせよ、レゲエひいてはジャマイカの音楽を取り扱う以上はジャマイカを抜きにしては語れません。自分たちがいっぱしだと認められるためには、ジャマイカから認められなければならないという、ジャマイカは一種の通過儀礼でもあるのです。本場のレゲエに負けたくない、俺たちはこんなにレゲエを愛している、だからこそ、ジャマイカの音楽に対してリスペクトしながら深く研究する…そのようにして実は欧米日とジャマイカは切磋琢磨しているのです。このことはマイティー・クラウンの活躍ぶりをみれば、一目瞭然ですよね。

 最近の世界中のレゲエ・シーンを俯瞰するとき、ジャマイカのシーンの影響が強いとはいえ、ジャマイカのみでレゲエ・シーンが動くほどシンプルなシーンではなくなってきています。インターネット、中でもYOUTUBEなどが情報の距離を縮め、アーティストがtwitterで自ら情報を発信するなど、各地のレゲエ・シーンが単独で動くのではなく、影響し合いながら動いているのがわかります。インターネットが拍車をかける前、レゲエ・シーンがグローバルに動いているということを実感するようなことが90年代に起こりました。

 90年代の前半からジャマイカでおこったコンシャス・ブーム、それを引き継いだ90年代半ばからのルーツ&カルチャー・ブームというのは、それに呼応したジャマイカ以外のジャマイカ音楽愛好家の後押しが大きかったに違いないのです。たしかに90年代初頭のスーパー・キャットやシャバ・ランクスのリズムへのノリやDJスタイルはヒップ・ホップ世代の心をとらえたのですが、ボブ・マーリーの蒔いた種で育った70年代レゲエ世代の心をとらえることができたとは言えませんでした。


 しかし、コンシャス〜ルーツ&カルチャーのムーヴメントは、マーリー世代のレゲエ世代の心をもつかむものだったのです。そこには、欧米の多くのレゲエ・ファンが求めるレゲエ像と共通したものがあったに違いなかったはずです。レゲエにおけるルーツ&カルチャー志向というのは、欧米では長くあり続けたものです。だからこそヨーロッパではルーツ系のレゲエ・アクトがパリのゼニットのような大ホールで単独コンサートをできるようなことがダンスホール時代も続いてきたのです。しかし、欧米が求めているルーツ&カルチャー的なニーズを把握できていたのは、その恩恵を享受していた一部のジャマイカのルーツ系のアーティストのみでした。ジャマイカ本国のアーティストや関係者には理解しにくかったのですね。欧米のマーケットがジャマイカよりも遙かに大きいにもかかわらず、ジャマイカのアーティスト達はより大きなマーケットのニーズを把握できていなかったのです。なにしろジャマイカのシーン、とくにダンスホール・シーンは新陳代謝の激しい生き馬の目を抜くような現場です。そこに身を置いていると、やはり外の世界は見えにくいのかもしれませんね。 しかし、90年代のルーツ&カルチャー・ブームは欧米マーケットの重要性というか、欧米マーケットでのルーツ&カルチャー的なニーズをダンスホール・アクトに伝えることになりました。それに先んじていたヒップ・ホップとダンスホールとの蜜月も欧米というマーケットの重要性をダンスホール・アクトに伝えましたが、それだけではなくルーツ&カルチャーは、最先端のみが自分たちの求められている需要・ニーズではないということを気づかせてくれたのです。

 レゲエの本場では見えにくくなったもの、本場ではなくなりつつあるものを鋭敏に察知し、それを吸収する、ジャマイカであまり興味を持たれていない音楽やアーティストを掘り起こすという感覚においては、ヨーロッパや日本のレゲエ・ファンのセンスはすばらしいものがあると思います。ヨーロッパや日本は少なからずジャマイカに影響を与えるようになっていますし、そのおかげでジャマイカも古き良きものに気づく傾向にあるいえるのかもしれません。このことは、先に書いたようにインターネット時代の現在、加速し、お互いの影響も非常に強くなっています。


 なんだか、すごく遠回りしましたが、僕が、ギャッピーの「Mountain Top」や「Heaven In Her Eyes」を聴いて『ON BOND STREET』を思い出したのは、〈ペッキングス〉からのリリースだったこと、古いリズムをよみがえらせているという2点からだったのですけれど、この比較はあまりうまくないと言うことに今更ながら気づいたのです。

BITTY McGLEAN
BITTY McGLEAN
▲ 過去のインタヴューはこちらから

GRE2073
ALBOROSIE / ESCAPE FROM BABYLON TO THE KINGDOM OF ZION

GRE2065 / GREENSLEEVES / IMPORTS

 ビティ・マクリーンは、『ON BOND STREET』以前に「It Keeps Rainin'」で全英チャートのトップ10入りのヒットを放つなど、シンガーとしての実績がありました(それ以前は UB40のスタジオでエンジニアとして働いていました)。『ON BOND STREET』は、実績のあるアーティストが取り組んだコンセプト・アルバムだったといえるのです。そのコンセプトとは、ロック・ステディとラヴァーズ・ロックの融合。そのコンセプトが成功したことは、『ON BOND STREET』の好セールスが証明しています。

 しかし、今回のギャッピーの『PUT THE STEREO ON』はちょっとニュアンスが違います。手法こそ、『ON BOND STREET』を踏襲していますが、本質はそこにあるのではないと思うのです。ギャッピーというDJ・シンガーの個性を生かすための相性の良いリズムの追求としてのオールド・リズム使用といっていいかもしれないですね。おそらくどのようなリズムでも乗りこなすだけのスキルをギャッピー自身が持っているに違いないのですが、このアルバムの主眼は、そのギャッピーの個性を際立たせること。その個性を愛してくれるであろうオールド・レゲエ・ファンをも意識した上で、リズム・トラックを探し、追求した帰結こそ、今回の結論=作品となったはずなのです。 『ON BOND STREET』的企画盤だったのであれば、もう少しよく知られたキャッチーなリズム・トラックを使うという選択肢もあったはずです。しかし、今回の選択を見る限りは、あくまでもアーティストの個性を生かすということが第一優先だったはずです。それゆえにリズムのチョイスも激渋です。

 それにしてもこのアルバムで聴くことのできるギャッピーのDJフロー、今のダンスホールDJと比較するとそのオールド・スタイルぶりが際立っていますね。ジャマイカのルーツ系DJもシズラやアンソニー・Bに代表されるように歌うかのようなDJをする人たちがたくさんいますが、彼らともまたちょっと違うオールド・スタイルぶりです。ハーレスデンというロンドンでも多くのジャマイカ人が住む地域の出身だけに、生活レベルでジャマイカ文化の影響を受けているから、自身、レゲエを含むジャマイカ文化が染みついていることもあるでしょう。しかし、ジャマイカ文化が染みついていればオールド・スクールなテイストのDJになるとは限りません。そんなことを言っていたら、ジャマイカのDJはみんなオールド・スクーラーになってしまいますからね。ギャッピーのオールド・スクーラーぶりは、四六時中レゲエに染まっているジャマイカとは違い、若干の距離感があるからこそのなせる技ではないのでしょうかね? 彼は、確信犯的に自分の持ち味としてのオールド・スタイルにこだわっているはずなのです。 そこは、熱心なレゲエ研究の末、傑作『ESCAPE FROM BABYLON TO THE KINGDOM OF ZION』をものにしたアルボロージとも似ていますが、ギャッピーの方がよりナチュラルです。


 ちなみに、一時期は世代最大のレゲエ・ディストリビューターと言われたイギリスのジェット・スターは、ロイヤルパークにその拠点を移すまではハーレスデンに本拠地がありました。もともとは、ジェット・スターを運営していたパーマー兄弟がハーレスデンで最初にスタートさせた〈パマ〉が前身です。シュガー・マイノット「Good Thing Going」など数多くのラヴァーズ・ヒットを放ったデニス・フォーブスの〈ホークアイ〉もハーレスデンを本拠地としていました。

 余談ですが、ここでロンドンのレゲエに関するエリアについて少々話しておきましょう。ギャッピーの育ったハーレスデンという地域は、ロンドンのシティの北西にあります。この地域で育ったレゲエDJには、スウィーティー・アイリーやジェネラル・リーヴィなどがいます。ここやハーレスデンの北にあるウィレスデン、ハーレスデンの南東にあるラドブローク・グローヴ、そしてそこから東へハイドパーク側にあるノッティング・ヒル・ゲイトあたりはジャマイカ人やジャマイカ系の人たちが多く住む地域です。ハーレスデンと同じくテムズ川の北の地域ではハーレスデンよりも東のヴィクトリア・パークの近くにあるハックニーやそれよりもだいぶ北にあるトットナムあたりがジャマイカ系の人たちが多く住んでいます。トットナムにはマフィア&フラクシィも住んでいました。テムズ川の南側にしてロンドンで一番ジャマイカ系住民が多いところが、ブリクストンです。クラッシュの歌に「Guns Of Brixton」なんて曲もありますね。ここは駅を降りると屋台がずらーっと並んでいたりしてカリブの香りです。アルトン・エリスのレコード・ショップ/レーベル、オールトーンなどもここにありましたし、駅からちょっと離れますがリントン・クウェシ・ジョンソンが拠点とするスパークサイド・スタジオもブリクストンにあります。ブリクストンから東方向のフォレスト・ヒルズには、〈ファッション〉のスタジオがありますし、このあたりもロンドンにおけるレゲエ拠点のひとつと言っていいかもしれません。


 さて、ぐだぐだ書いてきましたが、本作『PUT THE STEREO ON』の中身について触れていきましょう。なんと言ってもこのアルバムでの楽曲でどのリズムが使われているか? が多くの人の興味でしょうから。


▼ クリックで大きな画像が見られます。
シングル・カットされた「Mountain Top」の7インチ・レコード
「Mountain Top」

「Mountain Top」
 1曲目「Mountain Top」のリズムはパーマー・ブラザーズの「Step It Out A Babyon」です。パーマー・ブラザーズとは聞き慣れないグループ名かもしれません。パーマー・ブラザーズは、ロイ・パーマー、フランキー・ジョーンズ、ジュニア・ロス、リンフォード・ニュージェントというジャマイカのグリニッジ・タウン出身のメンバーからなるグループです。この曲ではジュニア・ロスがフィーチャーされています。ジュニア・ロスは、ジュニア・ロス&スピアとしてタッパ・ズーキーの制作で録音を残しているシンガーです。この「Step It Out A Babyon」のプロデュースはブレン・ダウ。メロディアンズのリード・ヴォーカリストだった人で、来日経験もあります。1975年に〈スウィート・シティ〉からリリースされた曲です。再発盤7インチがイギリスの〈ホークアイ〉からリリースされていますが、アーティスト名はパーム・トゥリーズになっています。ちなみにこの曲は、パーマー・ブラザーズの一員だったフランキー・ジョーンズも「Step It Out」のタイトルでカヴァーしています。そちらはイギリスの〈ネヴィル・サウンド〉からのリリースで、制作はバニー・リーでした。

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シングル・カットされた「Heaven In Her Eyes」の7インチ・レコード
「Heaven In Her Eyes」

「Heaven In Her Eyes」
 2曲目「Heaven In Her Eyes」は、12曲目と同じリズムで、ウェイラーズの「Soul label」のリズムですね。ウェイラーズが〈アイランド〉と契約する前、リー・ペリーと一緒に作っていた頃の作品のひとつです。 2曲目ではこの「Soul label」のリズムでギャッピーが奔放に歌っていますが、12曲目では、ネリアス・ジョセフがボブ・マーリーの歌っている歌メロを歌い、ギャッピーが絡むスタイルになっています。同じリズムでのギャッピーの個性の使い分けというのも聴いていて非常に面白いですね。

「Put The Stereo On」
 3曲目のアルバム・タイトル曲のオリジナル・リズムは、〈スタジオ・ワン〉のジャッキー・ミットゥ&サウンド・ディメンションズの「Hot Milk」です。ジャッキー・ミットゥは〈スタジオ・ワン〉のリズム・トラックの多くでアレンジを担当していた天才です。スカタライツの鍵盤奏者として活躍した後、数多くのセッションに参加しました。このリズムでは、個人的には〈スタジオ・ワン〉からのエディ・フィッツロイの「Freedom Fighter」が大好きですが、一番有名なのは、バーリントン・リーヴィの「Murderer」かもしれませんね。多くのレーベルでリメイクされているレゲエの定番リズムのひとつです。

「Pumpkin Belly」
 4曲目のリズムは、スーパー・キャットの「Boops」のリズムとして知られていますが、古くはトゥーツ&ザ・メイタルズ「54-46」、マーシャ・グリフィスの「Feel Like Jumping」としても親しまれています。エチオピアンズの「Train To Skaville」のリズムともものすごくよく似ています。このリズムは、〈テクニークス〉、〈ジャミーズ〉など数多くのレーベルがリメイクを手がけていますし、このアルバムに収録されているリズムでもっとも有名なリズムかもしれませんね。

 ちなみにギャッピーの曲中で歌われている「Pumpkin Belly」ですが、テナー・ソウの曲に有名な同名曲があります。両曲中に出てくる「How water walk go a pumpkin belly?」という表現は、ジャマイカの諺で、「根っことカボチャの実は離れていることから、根っこからカボチャの中にどうやって水が入っていくかなんて誰もわからない」という意味ですが、「pumpkin belly」を「カボチャのおなか=妊婦」の暗喩として使うこともあります。ここでのギャッピーは、「カボチャがどのようにして水を蓄えるのかなんて誰もわからないのだから、人を見かけだけで判断してはいけない」というニュアンスでこの表現を使っています。

「Happiest Day Of My Life」
 5曲目は、〈トレジャー・アイル〉の有名リズムのひとつですね。オリジナルはケン・パーカーの「I Can't Hide」(「逃げられない」)。この曲のインスト盤は「Found Out」(「見つけた」)という名称がついています。「I Can't Hide」と意味をかけてあるわけですね。

「Musical Girl」
 続く6曲目も〈トレジャー・アイル〉のリズムの使用です。ジャマイカのコーラス・トリオ、テクニークスの「It's You I Love」のリズムですが、冒頭にU・ロイの声ネタが入ってます。〈トレジャー・アイル〉の2連発では、元歌がロック・ステディの名曲のリズムだけに、ギャッピーもシンガーとしてのびのび歌っています。

VP4115
A LITTLE BIT MORE / DENNIS BROWN

VP4115 / VP RECORDS / IMPORT

「A Little Understanding」
 7曲目は、〈ペッキングス〉ではなく英国のレーベル、〈スティングレイ〉産のリズムトラックですが、このリズムはデニス・ブラウン「A Little Bit More」が使用されています。この曲はVP RECORDSからリリースされているデニス・ブラウンが〈ジョー・ギブス〉に残した12インチ集『A LITTLE BIT MORE』に収録され、タイトル曲ともなっていますね。12インチ盤では、ランキン・トレヴァーのDJが接続されたヴァージョンとなっています。〈スティングレイ〉は、英国のサウンド・システム、サクソンとも関係の深いレーベルでカールトン・マクリードが制作担当をつとめています。かつてはジャマイカの〈デジタル・B〉のイギリスでのディストリビューターをつとめていたこともありますし、シルヴィア・テラやチャッキー・スターなどラヴァーズ、DJものなど幅広くヒットを放っています。フレディ・マクレガーの親戚レーベルでもあります。

「Thy Shall Love」
 8曲目は随分と渋いリズム・トラックです。冒頭の女性コーラスもルーツ効果を高めています。この曲は、ジョー・ホワイトが1972年に〈パンサー〉からリリースした「Kenyata」という曲のリズムを使用。ここでのギャッピーのDJはオールドスタイルでリズムとの相性バッチリです。

「So Lost」
 9曲目も渋い曲です。元の曲はプリンス・ファーライの「I & I Are The Chosen One」なのですが、ハイハットやドラム・フィル、ホーンなどをオーヴァー・ダビングしているので、オリジナルの印象はほとんどありません。プリンス・ファーライは、イギリスで人気のあったDJです。独特のダミ声から「ヴォイス・オブ・サンダー(雷声)」の異名もとりました。クラッシュの78年のシングル「Clash City Rockers」にはプリンス・ファーライの名前が出てきます。過去の存在としてデイヴィッド・ボウイやゲイリー・グリッターの名前をだし、「オレとおまえにだけプリンス・ファーライの鐘が鳴る」=「これからの時代はパンクとレゲエだぜ」的に実に好意的に名前を登場させています。

「Heavy Lord」
 10曲目のオリジナル・リズムはバーニング・スピアの「Creation label」がオリジナルのリズムです。スピアの曲は〈スタジオ・ワン〉からのリリースでしたが、このギャッピーのアルバムでは〈バニー・リー〉版が使われています、〈バニー・リー〉のヴァージョンではアグロヴェイターズが演奏していますが、このリズムで歌っている曲では、ジョニー・クラーク「Creation label」などが有名です。確か、リロイ・スマートも同じリズムで歌っていました。

「Rude Boy」
 11曲目は、デルロイ・ウィリアムスの「Spanish Harlem」のリズムが使われています。これは1974年に〈ブラック・スター〉からリリースされた曲で、デルロイにしては、最初期の録音のはずです。彼は、後にオーガスタス・パブロの〈ロッカーズ・プロダクション〉で録音した曲が高く評価されましたし、そこからの「I Stand Black」はレゲエ・ファンに親しまれている曲のひとつです。

「Soul label feat. Nereous Joseph 」
 ラストは先に書いたウェイラーズの「Soul label」というわけで、全12曲の元リズム紹介でした。
全体を通して聴いて感じるギャッピーの資質は、シンガーと言うよりもシンガーよりのDJの感じが強い気がします。ギャッピー像としては昔で言うシングジェイという表現で差し支えないのですが、DJ色が強い曲の方が個性的で魅力的に僕には感じられます。彼の年齢からしても、先に書いた90年代の半ばのルーツ・リヴァイヴァルから強い影響を受けたに違いないと想像します。ジャマイカでも歌うDJがひとつのトレンドとして定着してきたように、ギャッピーも歌うDJの線上に載せることができるでしょう。まぁ厳密に言うと、U・ロイやビッグ・ユーツといった初期のDJ達もかなり歌ったりしているのですけれどもね。ギャッピーの作品は、歌詞の内容もルーツ&カルチャーに根ざしたコンシャス系のリリックが多いし、イギリスのみならず幅広いマーケットで受け入れられる可能性があるアーティストのように感じます。今回の様なオールド・リズムでのギャッピーをまとめて聴くと、逆にバリバリの打ち込みリズムでのギャッピーのDJを聴いてみたくなりますが、その手の作品も徐々に出てきていますから、ますます彼の今後の活動から目を離せませんね。

 実に長々と失礼いたしましたが、ギャッピー・ランクスのデビュー盤『PUT THE STEREO ON』のライナー・ノーツのようなものをこれにて閉じさせていただきます。楽しんでいただけたか実に不安ですが、また次回お会いできるとうれしく思います。


藤川 毅 [ふじかわたけし]
1964年鹿児島市生まれ。
高校卒業後、大学進学のため上京。
大学在学中より音楽関係の仕事をスタートし、『レゲエ・マガジン』の編集長など歴任するも、思うところあり、1996年帰郷。
以来、鹿児島を拠点に会社経営をしつつ、執筆活動などを続ける。
趣味は、自転車(コルナゴ乗り)と読書、もちろん音楽。
Bloghttp://www.good-neighbors.info/dubbrock
Twitterhttp://twitter.com/dubbrock

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