JOEL CHIN
JOEL CHIN

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  友達が死んだ。VP RECORDSのJOEL CHINだ。仕事仲間ではなくて友達だった。年下の友達だった。ジャマイカで死んだ。ジャマイカでガン・マンに撃ち殺された。


  日本時間の8月17日の夕方にその情報が流れた。「R.I.P.」と続々と溢れていく画面を見ていて、期待していた誤報ではないことは覚悟した。緊張して電話をした。相手はVP RECORDSのRANDY CHIN。VP RECORDSのあるニューヨークは朝の4時。「いつも子供達の世話とかがあるから5時には起きるよ」と話していたRANDYだが、その少し前の時間であることは理解しつつ何度も繰り返して電話した。しかし、電話は鳴ることもなく、そのまま留守番機能につながるばかりで、「早く起きろ」とイライラした。メールでも「嫌な噂が流れているから確認したい。すぐに連絡くれ」と送った。

  少しの間があって携帯が鳴った。「RANDY CHIN」と表示された。電話を取ると「ホントだ」と言われた。言葉を失っていると、RANDYが続けて話を始めた。「ニューヨークじゃないんだ、今はジャマイカにいるんだ。今はジャマイカの朝の5時過ぎだ」。声は泣いていた。


  RANDYはジャマイカに出張に来ていた。兄のCHRIS CHINと共に現在のVP RECORDSを経営するRANDYは頻繁にジャマイカ/マイアミ/ロンドンを行き来し、日本にも来る。各支部を訪問し、状況の把握と理解に努める。そうした通常の出張の一環としてジャマイカを訪れていた。

  JOELはRANDYの甥にあたる。JOELの父親はCLIVE CHIN。CHRIS、RANDYと同様に、VP RECORDSの創業者であるVINCENT CHINの息子だ。そしてCLIVEはVINCENTと共に、VP RECORDSの前身であるRANDY'Sを立ち上げ、特に〈RANDY'S〉〈IMPACT!〉〈STUDIO 17〉等のレーベルのプロデューサーとして活躍した。その息子であるJOELは父親と同様に制作/プロデューサーの道を歩み、現在のVP RECORDSの制作の要となっていた。ニューヨークで育ち、VP RECORDSのオフィスでも働き、ジャマイカを往復する生活をしていたが、ココ最近はジャマイカに居を構えて制作に携わっていた。


  RANDYによると、「昨晩までずっとJOELと行動を共にしていた。昨晩の10時半頃にJOELの運転する車でホテルまで送ってもらった。そこで『明日はTARRUS RILEYとDEAN FRASERと新しいプロジェクトの打ち合わせをするから一緒に来てくれ』と言われて別れた。それがJOELとの最後の会話になった」。

  RANDYとホテルで別れたJOELは、そのまま自宅のあるストーニー・ヒルズの自宅に向かった。その自宅の駐車場で何者かによって撃たれた。何発も撃たれた。銃声を聞いた周りの住人が警察に通報して、JOELは病院に運ばれたが既に亡くなっていたという。RANDYと別れて30分も経たない時間の中でそうしたことが起きた。

  「何を言っていいのか分からない」。詳細を説明してくれるRANDYに言えた言葉はそれぐらいだった。泣いたままの声と、周りの雑音もあってRANDYの声は聞き取りにくくなっていたが、「自分にも分からない。何が起きたのか、混乱している。強盗なのか、恨みによるものか、撃った人物も、撃った理由も何も分からない。警察にいるが、それがいつ分かるのかも分からない。ただ、分かっていることはJOELが亡くなったということだけだ」と聞こえた。


  JOELと出会ったのは、自分がVP RECORDSの代理店を始めた頃だ。最初はメールでのやり取りから始まったと思う。何度かVP RECORDSを訪れるようになって、至極自然に話すようになり、戻っても頻繁にメールでやり取りをし続けてきた。

JOEL CHIN
JOEL CHIN

  自分がVP RECORDSを定期的に訪れる目的は「打ち合わせ」だ。それは制作/宣伝/営業/契約等に関する全てのことで、訪れる時の大半は終日をオフィスの2階の会議室か、RANDY、CHRISの個室で過ごすことになる。数字にまつわるシビアな話を、同じ椅子に座りながら、朝から夕方まで代わる代わる現れる担当者と話し続けないといけない場合が多い。自分と弊社はVP RECORDSの代理店ではあっても、独立した存在である。VP RECORDSはクライアントにあたる。そのクライアントの意見や意向も大切だが、自分や自社としての意見も意向もあるので、時には激しい意見のブツかり合いにもなるし、声を荒げないといけない時もある。時差ボケとも格闘しつつ、終日その窓のない部屋で頭の中をフル回転させ続けないといけない時も多く疲れる。

  その疲れた自分が逃げ場として向かうのは階段の下にある狭い部屋だ。打ち合わせと打ち合わせの合間に、よく逃げ込んだ。木製の重いドアを開けるとJOELが居て、会話もままならないほどの爆音でレゲエを流しながら、その巨体で「yo what's up Koji」と迎えてくれた。JOELは生粋のレゲエ馬鹿だった。過去から現在までのレゲエを知り尽くし、曲やアルバム、アーティスト、レーベル、プロデューサー、ミュージシャン、裏方と色々と知っていた。そして彼は話し好きでもあって、自分が何か一つ聞くと、ずっと話し続けていた。

  そして「コレ知っているか?」「コレは録ったばかりの曲」と会話と同様にエンドレスで音源を聴かせ続けてくれて、自分に意見を求めたりもした。JOELとは至極正直に感想や意見を言い合えた。「なんかイマイチじゃないの」と言うと、「俺もそう思う。コイツは酷いぜ」と二人で下を向く時もあれば、「マジで言ってのか? コレがイマイチだって? ふざんじゃねぇーよ」と怒って、「だったらコレはどうだ」と違う曲を聞かせられることもあった。

  あまりに長居して、他のスタッフが「コージ、次のミーティングが始まるぞ。みんな待っている」と自分を呼びにきても、JOELが「待て待て、まだ聴かせたい曲があるんだ」と自分を離してくれない時もあった。そしてそうした時間こそが「あー、VPに来てるな。レゲエの会社に来てるな」と実感出来る時でもあった。会議室のやり取りでは確認し切れない、「なんでココの代理店をやってんだ」というコトを自分に教えてくれる時間でもあった。


  自分と弊社がVP RECORDSの代理店業を始めて10年以上になる。その間に色々なコトがあったし、色々なコトも考えた。「やってて良かった」もあれば「アホくさくてやってられるか」もあった。自分は経験上、組織とは仕事しない。組織は信用しないことにしている。付き合い、信用するのは個人にしている。VP RECORDSと続けられているのも、また続けさせてもらえているのも、VP RECORDSではなく、そこで出会った人達との関係が大きい。働いている人達の全員を知っているわけではない。知る必要もないと思っている。その中でCHRIS、RANDY、CLIVEと営業担当しているAARON TALBERTとは積み重ねてきた時間の中で築いた特別な関係がある。 そしてJOELには彼らとは違う想いがある。単純に友達だ。仕事も立場も国籍も関係なく、ずっとレゲエで話し続け、笑い続けられる関係、くだらない短いメールをチャットし合える関係、「お前アホか」と怒鳴り合える関係の友達だった。


  JOELは友達として他のVP RECORDSの人達が教えてくれないことも教えてくれた。自分がVP RECORDSの代理店業とは別にジャマイカのアーティストやプロデューサーと仕事をするのを見て「注意しろ」と何度か言ってくれていた。

  「注意しろ you have to be careful」ー「レゲエ家族の一員として生まれ育ったJOELの忠告」には強い説得力も感じた。ジャマイカの「危険」も、そのレゲエ業界の「危険」も彼は嫌っていた。華やかな場面に出ることも、写真を撮られることも「嫌だ」と言っていた。「顔と名前を知られるのが嫌だ」と言っていた。自身の訃報を伝える一部のジャマイカ・メディアは「Gun Man」と表現を使用していたが、そうした「Gun Man」が存在するジャマイカを怖れていた。ただ、決して上品ではなく、口も達者で強がりなJOELは臆病と思われるのを嫌ったのか、「自分を売るぐらいなら自分の作品を売りたいんだよ」を自分が表に出たがらない理由にしていた。


JOEL CHIN

  原因・理由・目的がなんであれ、JOELは自身が怖れたジャマイカの「危険」で命を落とした。残された家族には子供もいる。ジャマイカで生まれたばかりの幼い子供もいる。その家族の待つ家の前でJOELは命を奪われた。そうした「危険」を知っていて、なぜにジャマイカに拠点を移したのかと疑問も残るかもしれない。ただ、JOELは「ジャマイカには音楽がある」と言っていた。VP RECORDSのオフィスに居るよりも、彼はスタジオを愛した。生粋のレゲエ馬鹿だった。そして、それは父親のCLIVEの言葉「ニューヨークに移住してからは制作をやめたのはレゲエのヴァイブがなかったからだ。ジャマイカのスタジオのようなヴァイブがなかったからだ」の言葉を思い出させた。

  悲しみも怒りもあるが、友達を失い、奪われた気持ちをどう表現していいか分からない。分かることはないのかもと思うほど絶望的な気持ちにもなっている。RANDYの「ただ、分かっていることはJOELが亡くなったということだけだ」という言葉も残酷なほどに重い。


  JOELの死はCHIN家だけでなく、VP RECORDSにとっても、レゲエ・シーンにとっても大きな喪失だ。JOELの功績と貢献を思えば、それは容易に想像できる。そして、自分にとっても大きい喪失だ。もうJOELとの時間もない。あの部屋にも行く理由がない。そしてVP RECORDSの代理店業に携わる理由の一つも失った。


JOEL CHIN

  思い出として振り返るには早過ぎる。ただ、JOELのことを想うと、T.O.K.の来日ツアーに同行して日本に来た時のコトを思い出す。共にツアーしたMIGHTY CROWNとの楽しく、滑稽な時間を思い出す。JOELはMIGHTY CROWNのCOJIEとSTICKOがニューヨークで修行していた時代からの知り合いだった。MIGHTY CROWNが世界的にブレイクしていく中で、「俺はアイツらとは最初からの友達なんだぜ」と得意気に言ってた。VP RECORDSのオフィスの部屋のドアには『MIGHTY CROWN / DANCEHALL RULER 2001』のポスターを貼っていた。ステッカーも貼っていた。

  そして父親のCLIVEのコトを想う。今年の6月のニューヨークでの『REGGAE 4 JAPAN』での会場でCLIVEと会った。ロビーの廊下で声掛けられて、混雑した中で少しだけ会話した。CLIVEは自分がJOELがジャマイカに居ることを知らないと思っていた。「息子はジャマイカに行っちゃったんだ。帰ってこないんだよ」と少し困ったような表情で話してくれた。その時のCLIVEの表情と言葉は今となって胸を締め付ける。その悲しみだけではない現在の想いを想像する。息子に伝え切れなかった後悔も想像する。


  JOELには及ばないが、自分もレゲエを愛している。しかし、それを生むジャマイカのこうした現実を受け入れられない。「ジャマイカのリアリティ」と書けば、宣伝文句としては少し格好もいいのかもしれない。でも、そう謳う自分に矛盾を感じるのも事実だ。ジャマイカは日本と同様に決して素晴らしい国ではない。日本とは違う暗闇もある。それを憎む自分もいる。JOELは生まれたジャマイカで殺された。

  JOELを返せ。俺の友達を返せ。日本でそう思う自分が酷く無力で、無意味で、愚かにも感じる。


TEXT BY: 八幡浩司(24x7 RECORDS., INC.)

JOEL CHIN WORKS

  JOEL CHINが手掛けた作品は数多い。A & Rとしてだけでなく、楽曲のプロデュース、ソング・ライターとしても活躍し、エンジニアとして自分の作品はいつも最後のマスタリングまで自分で行っていた。ココではその中で個人的に思い入れの強い3作品を紹介したい。

T.O.K. / MY CREW, MY DAWGS T.O.K.
MY CREW, MY DAWGS

●VP RECORDS / IMPORTS / VP1632 / 2001年作
◎VICTOR / 国内盤 / VICP61738
BONUS TRACK 「Bad Man Anthem」「Girlz Girlz」追加収録

  T.O.K.のデビュー盤で日本でも大ヒットを記録、現在でもロング・セールスを継続している00年代ダンスホールのクラシック。〈B-RICH〉のRICHARD 'SHAMS' BROWNEとの共同プロデュース作。本アルバムの国内盤リリースに合わせて実施した来日ツアーの時には、JOELはマネージャーとして同行した。その時に共に過ごした時間でJOELとの個人的な関係が強化・確立された。居酒屋、カレー屋、レコード店とフリー・タイムをユルユルと過ごした時間が忘れられない。また日本盤用に強力なボーナス・トラックを収録してくれたことにも感謝している。

LUCIANO / SERIOUS TIMES LUCIANO
SERIOUS TIMES

●VP RECORDS / IMPORTS / VP1688 / 2004年作

  「LUCIANOにとって一番のプロデューサーはDEAN FRASERなんだ。DEANがLUCIANOを一番知っているし、二人のケミストリーは特別なんだ」と制作された大名盤。制作中に「聴いてくれ」と送られてきた曲は「Satisfy Yourself」。激美曲/コンシャス・チューン。「良い曲だろ、コレをアルバム・タイトル曲にする」と言っていたが、最終的に9.11以降の荒廃した世界状況等も踏まえて「Serious Times」へと変更。「Serious Times」以外にも「The World Is Troubled」他、メッセージ性の高い曲が追加された。JOELは常にオン・タイムで発想し、変更も多かったが、最善のためにはそれを怖れなかった。

WE REMEMBER GREGORY ISAACS WE REMEMBER GREGORY ISAACS
VARIOUS ARTISTS

●VP RECORDS / IMPORTS / VP1927 / 2CD / 2011年作

  JOELがリリースした最後の作品。人間としても音楽家としても最も信頼を寄せたDEAN FRASERによるGREGORY ISAACS追悼企画盤。JOELには制作途中の作品がたくさんあった。TARRUS RILEY、ETANA他、多くの新作を手掛ける予定だった。そして、『REGGAE GOLD』を「世界最強」にしたのもJOELだった。何度も変更があって振り回されて困ったが、JOELは毎年、制作締切の最後の最後まで選曲にこだわり粘った。このシリーズから世界的にブレイクしたアーティストも多い。そしてSEAN PAULの才能に誰よりも早く気付いて、契約に動いたのもJOELだった。



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R.I.P. JOEL CHIN

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REGGAE 虎の穴
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